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52年ぶりのクラス同窓会         

━出会うこと・学びあうことに感謝!

   そして、今も「トンツー」の響きが心に残る━

2024.7.1(文責:電気通信科22期卒 廣谷 明)

「げんきか?」とTから52年ぶりの電話。「誰だっけー」「おれ!」「オレオレ??」久しぶりの声に同名の友人が脳裏をよぎるが思い出せない。しばらくして、出てくる懐かしい名前にTであることを思い出す。クラス会の日程が知らされ、「是非会いたい」との思いで同窓会再開を心待ちした。

6月23日(日)午後、和歌山市で再会した人数は6名と少なかたものの、皆からも当時の懐かしさが込みあがり、口々にその頃・あの時を語り合った。クラスの仲間たちや教えてもらった先生方のエピソードであった。誰もが一堂に口から出たことは、2024年6月23日 和歌山市内にて「厳しかったトンツーの授業(無線通信実習)で間違って受信すると正座させられたなー。」「俺なんか、先生に言われる前に進んで座った。」「今では、先生の指導に問題だといわれるが、厳しく教えられたことは、確かに身についた。」「正しく電文を受信することの重要さ。大切さを教えたかったのだろう」「今、どうしているのか?〇〇先生」と皆が懐かしむ。「日直当番には、英語で日誌を書かされたなー」「行間開けて書いていたら、詰めて書くようにと、最初からやり直されたな。」「俺なんか、残った行を単語を並べて書き綴っていたで」と、あの頃。その時。私たちの脳裏を埋め、笑いが絶えなかった。話は終わらない。当時、仙台電波学校(国立)に進学したMはその後、一級無線技術士を取得して無線通信関係企業で活躍。今はタイ王国に滞在。Nは、当時の国鉄の運輸部に勤務。その後JRに変わり駅長となり、現在は地域の区長として地域の安全に受持されている。そして、私は地域の学校教育に携わり、最後は卒業した母校の校長を務めることとなった。そして今、大阪電気通信高等学校は大阪電気通信大学高等学校と校名が変わり、教育方針も大きく変化した。当時の電気通信科は無くなったものの、私たちの心に「トンツー」の響きが残っている。

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